【ワイルド・スピード/ジェットブレイク】80点

【高まる質、尽きぬチャレンジ精神。マンネリとは無縁のスーパーご長寿シリーズ】

ドラマにしろ映画にしろ、長く続くシリーズにはある程度共通した特徴が表れる。
そこまで長く続けるつもりではなかった監督が、もう降りたいのに周りに許して貰えず苦しんでいる様子がスクリーンから見て取れたり、出涸らしになったコンテンツをギャグとしか取れないような形でリメイクしたりコラボさせたり・・
ワイルド・スピード」シリーズも御多分に漏れずキャストが途中退場したり死人が生き返ったり、スケールが膨らみ過ぎて宇宙に行ってしまったり、とあるあるを実践してくれている。
シリーズとしてやりたい事はとっくにやり尽くしているのに、需要に応えて何とか続けている証拠だが、それでもこのシリーズはマンネリも腐敗もせず、常に高品質で新しい映画作りを心掛けている。
非常に好感の持てる、稀有な例と言えるだろう。

ワイルド・スピード」シリーズは、足掛け二十年も続いている。
二十年前と言えばハリウッド映画のテイストは今と大きく違い、当時のテイストを含んだ要素をそのまま現在の映画に取り入れてしまうと空気が読めなくてズレた、なんとなくダサい作品になってしまう訳だが、本作はあえて二十年前の、一作目の頃の映画あるあるを採用した上で、それをセルフパロディ的なギャグシーンとして配置する粋な計らいを見せている。
序盤の、ジョン・シナ演じる主人公の弟が登場するまでのアクションシーンは、監督がニヤニヤしながら作ったビッグスケールのギャグプロットである。
コメディ担当の躁黒人、メインキャストには絶対に当たらない数千発の弾丸と爆発しない地雷、ペチンペチンと安っぽく弾ける壁や地面の火薬・・。
「大丈夫なのか、この映画大丈夫な奴なのか・・?」とひとしきり気を揉んだ辺りで、予告編で見た、車が一人でにワイヤーを掴んで空を舞う例のシーンが来て、ああなんだ全部ギャグだったんだ、と安堵する。
自虐的ですらあるセルフパロディを、この費用、このスケールでやり切ってしまうのは素晴らしく粋である。

それ以降のアクションシーンはどれも全て、斬新さやリアリティの面に強く拘っていて、大変質が高い。
工業用磁石で街にある大小さまざまな金属を、洗いざらいかっさらいながら激走するカーチェイスや、車で大気圏を目指す事のどこがリアリティか、と言われそうだが、「ギリギリ可能なのかな・・?」と思わせる画作り、説明を心掛けていて、まあ騙されてやってもいいかな、という気にさせる。
筋肉と筋肉がぶつかり合うバトルシーンはリアリティと創意工夫に満ちていて、「ジョン・ウィック」のように殺陣に拘ったアクションが好きな人には持ってこいである。

今回主人公の弟役として存在感を発揮しているジョン・シナは、役者としては長年芽が出なかった遅咲きの人ではあるが、本作と公開時期の近い「ザ・スーサイド・スクワッド ”極”悪党、集結(2021)」でもいい演技を見せている。彼は最近ハリウッド映画のステレオタイプになりつつある「実力があって賢く、見栄えもいいが、独善的で性根の曲がった、嫌な白人」の役がよく似合う。
ヴィン・ディーゼルもすっかり歳をとって、今回のハードなアクションシーンもほとんどはスタントマンに頼ったと思うが、それでもあれだけ出ずっぱりで楽な撮影だった筈がない。未だに人種は何なのか、ハリウッドスターとして成功したのかそうでもないのか、演技は上手いのか下手なのか、カッコいいのかダサいのか、色んな事が分からない人だが、彼にとって「チーム・ワイルド・スピード」が、一番のホームである事は間違いないだろう。

非業の最期を遂げ、志半ばに倒れたポール・ウォーカーを、姿は見えないが今もいる、遠くでチームを見守ってくれている、という扱いでエア出演させる心遣いにも言及したい。
長く続くシリーズ物で、重要なキャストが急に居なくなった場合大抵腫物に触るような扱いで決別して遠くへ行った、死んだという処理になるが、今回のように裏でチームの補佐をしている、という存在感を感じさせる演出をするのはかなり珍しい。
彼の運転する、彼カラーの車の走行音がこちらに迫って来るくだりは、チームの「彼が戻ってきたらどんなにいいか」という気持ちを表しているようで、思わず胸が締め付けられる。
ポール・ウォーカーは、まだまだこれからだったのだ。
彼に与えられていたステージは、彼のスペックと実力からするとどう考えても小さく、それでも腐ることなく真摯に丁寧に仕事をこなし、海外での知名度も徐々に上がってきていた矢先の急逝で、共演者はもとより、一般の映画ファンにだって彼の死は到底受け入れられない。

ストーリーは凡庸で単純、ご都合主義の連続だがそれも序盤のアクションシーン同様、監督は自虐パロディ的なノリで製作している。
そんなお遊びがどうでもよく、いやむしろ愛おしく感じられてしまう渾身のアクション超大作。
全てのアクション映画好きにおすすめである。

【コンティニュー】12点

【新進気鋭のアクション監督、劣化コピーおじさんに仲間入り】

 才気溢れるクリエイターも、やはり我々と同じ人の子で、
創作意欲やアイデアを、自分のキャリア一杯まで持たせられる者は稀である。

寄る年波で情に脆くなった大御所監督が、リアリティと整合性を欠いて破綻したストーリーを展開し、安易な綺麗事とお涙頂戴シーンをこれでもか、と詰め込んだ超大作の駄作、と言えば誰でも何作品か思い浮かべる事が出来るだろう。

ジョー・カーナハンは無意識に、全盛期の自分の作品の劣化版を作り続けてしまうタイプの監督である。
「コンティニュー」は彼の過去作品の断片がだらしなく盛り合わされ、古いセンスで一昔前の流行を追った、この時代の誰にも刺さらない残念な作品と言えるだろう。

NARC ナーク(2002)」から10年程の彼の活躍は目覚ましかった。
粗削りな作風ながらも常に斬新、常にスタイリッシュ。
男の子大歓喜のダイナミックなアクションで沸かせると同時に、誰も予想出来ない方向へ転がるストーリー・・「特攻野郎Aチーム(2010)」まで、彼は間違い無く昇り調子だったのである。
あと少しで一流監督の仲間入り、という所で創作意欲が尽きたのか迷走し始め、気が付けばこんな低いステージで、広告もまともに打たれないマイナー作品の監督を務めている。

「コンティニュー」はジョー・カーナハンが新しい気風に触れ、柔軟に感性を磨く事を長年怠って来た事を示す要素で溢れている。
偉そうなおじさんが誰も感化されない演説をネチネチと続けるシーンを、カッコいい、箔が付くと思って長尺で撮ったり、主人公が非も害もない一般市民を差別意識と先入観だけでなじったり、マトリックス的に剣を習ったりシンシティみたいな女剣士を出したり殺し屋が大集合したり・・。
「主人公が無限に蘇生して強くなり続ける」という設定に「オール・ユー・ニード・イズ・キル(2014)」という勝てる筈のない傑作から6年という微妙な期間を置いて手を出した事にしてもそうである。

映画作りに際して「今この流れが来てるからこういうテイストでプロットを組んでこういうメッセージを込めれば客に刺さる筈だ」みたいなプランが組めなくなっているのだろうと思う。
「もう大体やりたい事もやったし、何となく思いついたことやってみるか」という姿勢が見え見えで、そんな映画が人に刺激を与える事は無いし、今後任される仕事もさらにサイズダウンするだろう。
一時は大きく期待を寄せた監督なだけに、とても残念である。

唯一、主人公が目覚めた直後に直面する、ヘリからのガトリング銃の乱射を避けながら殺し屋と戦うシーンは、役者の練習と、テイクを重ねた努力の跡が見られていい。
主人公を演じるフランク・グリロの、アウトロー感漂う佇まいと鍛え上げられた肉体もいい。
かなり遅咲きの役者だと思うが、今絶好調の上り調子なので、今後に期待である。

【ジャスティス・リーグ:ザック・スナイダーカット】40点

【鈍る天才。迷走するDCシリーズに泥の上塗り】

 ザック・スナイダー監督は、アメコミを映画化させると天才的に上手い。
原作のテーマを損なわず、作者の意図を正確に捉えて脚本に反映し、コミックの一コマを何倍にも美しく、重厚に表現する映像美は最早芸術作品。
アベンジャーズシリーズ(MCU)のように原作とはかけ離れたストーリー展開を見せるのとは違い、彼は原作の魅力をそのまま何倍にも引き上げて映画化する手腕に優れている。

DCコミックを原作とする映画シリーズ(DCEU)は、ずっと迷走続きである。
映画・コミックファンが懸念する通り、いやそれ以上に、暗く、重く、ダサくてパッとしないヒーロー達、マーベルと比べてしまうせいか変化と意外性に乏しく物足りないストーリー・・・そういったDCコミックに付きまとうイメージをどう処理するか、がDCEU始動当初の最大の課題だった筈だが、残念ながらどうにもなっていない。
世間の、「DCは暗くてダサい。面白くない」のイメージはさらに強まったことだろう。

DCEUにも筋のいい作品がない訳ではない。
無印版の「ジャスティス・リーグ(2017)」は、少々地味ながらもハイスペックなヒーロー達が一同に会して大暴れする、見応えのある娯楽大作である。
ピーターのようにポップで愛嬌のあるフラッシュ、ソーの海版アクアマン、ブラックウィドウのように強く賢い女ヒーローワンダーウーマンと、ライバル作品からいい所を盗み、ついでに監督も拝借して作られたこの作品は、MCUの作品と作品の繋ぎとしては申し分ない出来であった。

「ザ・スーサイド・スクワッド”極”悪党、集結(2021)」もかなりいい。
スナイダーとは違ったタイプのアメコミ映像化の天才、ジェームズ・ガンが手掛けるポップでダイナミックな超大作で、監督がMCUから持ち込んだキャストやノウハウを駆使して繰り出される「ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー」的なノリが最高に楽しい。

要するにDCEUは、自力で面白くなる事がどうしても出来ずに、長年迷走を繰り返した挙句、ライバルであるMCUの出張所に成り下がってしまったのだ。
この「ザック・スナイダーカット」を見るとまだ「そうはなるまい、なんとかDC独自の路線でこの先の展開を」と足掻いている様子が見て取れる。
だがそうして、無印版「ジャスティスリーグ」に対して改変し、付け加えられたシーンはどれも大袈裟でだらだらしている上に中身が無く、作品の出来を大きくスポイルしている。
無印版は少々の粗を除けば誰にでも勧められる良作だったが、これは誰にも勧められない。

無印版以上のキャラの深堀りなんか誰も求めていないし、サノスの劣化版みたいなラスボスはサノスの劣化版みたいな立ち回りしかしてくれなさそうだし、スーパーマンを悪役に振る最終局面は、スーパーマンというDCのダサさと華の無さの象徴にフォーカスを当てる事になるので愚策の極みである。
紆余曲折あって最終的に組む事になる面子はアクアマンの弱体版に武器が一個増えたサイボーグ、衣装替えしてスタイリッシュさを失ったフラッシュ、銃を持ったおじさん・・・
こんなんじゃ誰の胸も躍らない。

DCEUはもっと、観客がパッと観てパッと引き込まれるような画作り、映画作りを心掛けるべきである。
「いやいやよく見て、一見ダサいけどみんな意外と強いんだよ。さらに重厚な人間ドラマと哲学がね・・」とかやっている場合ではないのだ。
重くても暗くても観る者を一瞬で引き込んで、上映終了まで離さない作品はいくらでもある。DCEUを始動してからこちら側、一度もそのクオリティに達する製作が成されていない、体たらくを晒している、というだけの話なのだ。

「スナイダーカット」と聞いて「300」や「ウォッチメン」をイメージして小躍りした殿方にはお気の毒だが、本作はその二作より「エンジェルウォーズ」や「マン・オブ・スティール」に近い、ザック・スナイダーのよくない部分が強調された、無印版の劣化作品となっている。
DCEUに関する知識をさらに得たい、という目的以外で視聴する意味は全くないだろう。

本作の目玉の一つである追加要素「ジャレッドジョーカー」に関しては一見の価値があるかも知れない。ヒースと違い、怪しく静かなジョーカーを演じるジャレッド・レトの演技はかなりいい。
だがその一要素のために、「ジャスティスリーグ」シリーズに今後を望むかと言えばやはりノーだし、実際実現は難しいだろう。

【ドント・ブリーズ2】83点

【ゼロベースからヒットしたマイナー作の続編、かくあるべきという模範解答】

 運が良ければ年に数本、無名の監督に低予算、見たこともない俳優陣という悪条件の中我々を楽しませてくれる映画に出会える。
古くは「ソウ」、邦画であれば「カメラを止めるな!」、みんな大嫌い「ムカデ人間」。記憶に新しい「ジョン・ウィック」や「クワイエット・プレイス」の成功もその類と言えるかも知れない。

「ブレア・ウィッチドリーム」とでも呼ぶべきこれらの作品は、興行的に期待出来るから、という理由で大抵続編が作られる。
そしてこの続編は結構な確率で駄作になる。

「思ったよりバズったから次作ってよ」と急遽オファーを受けた監督が一作目以上のアイデアを用意出来るとは限らないし、一作目のネームバリューで少しでも儲かればそれで良し、とずさんな製作が成されるケースもある。
マイナーだけどいい映画見つけたな、と思ったらその続編には注意した方がいい。

一作目・二作目共に「ドント・ブリーズ」と公開時期の近い「クワイエット・プレイス」シリーズは見事にその轍を踏んでしまった訳だが、本作は何と奇跡の死亡ルート回避である。
ドント・ブリーズ2」は作品単体として前作にも引けを取らない程に出来が良く、また「ヒット作の続編、かくあるべき」という模範解答を導き出している。

今作は前作に対して【前作の悪役を主人公に据える】【ホラーからアクションにジャンルを変更する】【自宅に籠り、おぞましい行いにふける異常者を、ちょっと厳しいだけの優しく情に厚いパパに】等の思い切った改変を加えているが、老人の「盲目だが超人的な聴力と戦闘力を誇り、自分の生活を脅かす者に地獄を見せる」という前作最大の肝である設定を全くスポイルしていない。
前作最大の長所を押さえつつ新鮮な作品作りを心掛ける、見事な舵取りである。

前作からかなり時間が経ち、老人を取り巻く状況も大きく変わっている事を説明しつつ、伏線を丁寧に蒔きながら屈強な犯罪者達が日常に忍び寄ってくるまでの描写と展開も完璧。
前回のケチなコソ泥達と違って明らかに組織立ち、経験豊富な犯罪集団に老人の力はどこまで通用するのか、どう戦うのかと期待が高まる。

予告編やあらすじを見ていれば大方予想がつく事だろうが、前回と違って今回は老人が小学生ぐらいの女の子を犯罪者集団から守る話である。
父×娘物といえばアメリカの創作物の鉄板で、本作にはそのジャンルの不朽の名作「レオン」へのオマージュとも取れる要素がいくつか織り込まれている(「孤児院」、「全員だよ!」等)。
加えて「強いおじさん無双」「犬を人より大事にする」等の鉄板要素をふんだんに盛り込み、既視感満載の満足感を常に与え続けてくれる。
知り合いの死にショックを受けたり自分を食い殺さんとばかりに向かってくる犬をどうしても殺せないの、とやっている姿を見ると「前作であれだけやっておいて聖人ぶってやがらぁ」と笑ってしまうが、面白ければ何でもいいのだ。

盲目である縛りを守りつつ、聴覚と触覚を頼りに立ち回るシークエンスはどれも創意工夫と意外性に溢れていて大変素晴らしいが、私が今回特に衝撃を受けたのは、深夜誘拐目的で家に忍び込んだ犯罪者集団を、たった一人在宅していた小学生女児が、見つかるすんでの所を紙一重の動き(老人仕込み)で躱し続け、結局見つからないという序盤の、ワンカット(風)の長尺シーンである。
キャスト、スタッフ共に相当こだわらなければ作れないシーンで、注視していなければ見逃してしまうシークエンスがいくつも含まれている。
この一要素だけをとっても、本作は作り手が相当な熱意を持って製作した事が分かる。

前作最大の肝を堅守し、その縛りをむしろ逆手に取って、創意工夫で作品固有の魅力へと昇華させる事は、前作へのリスペクトと観客への配慮が無ければ出来ない事で、今作の監督はこれ以上ないレベルでそれを実践している。
加えて丁寧で熱意ある映画作り、皆が大好きな鉄板要素をふんだんに盛り込んだ今作は言わば「ヒット作の続編、かくあるべき」という模範解答と言える。
商業に利用されて死んでいくシリーズが多い中、こういった事例が少しでも増える事を願うばかりである。